2009年04月06日

さくさく3回目

さてその後、アベはよくならず、悩みつつもより強い玉とは、どういうものかを探していました。
冬、例年のごとく手にあかぎれが出来る季節になり、皮膚がわれ始めました。そうなるとついめくったりし始めます。
そのため、親指にひどく傷が出来ますが、そのまま投げる、割れる、めくる、傷つくの繰り返しになり、とうとう彼女よりボウリング禁止が出され、指を見てから投げに行くようになりました。
その時、痛みがある状態ながら試合があるため投げに行き、翌日も彼女と投げに行ったときに親指が痛いから握れない、ではどうするかと考えやっと指全体で抑えるといいのではと考え付きました。
まあ普通の人なら当たり前に出来ることが1年ががりでわかったということです。
それからは握りこまずにすむので、軽く投げられるようになりましたが次はやはり落としやすくなりました。
そのためガターが頻発し、スコアが下がりました。
その時ショップで、仲のよい常連と話をしながら彼のボールを見たとき、インサートテープが通常のではなかったので聞いてみるとシリコン製の滑らないやつと教えられ、即購入即投げてみるといい感じでイメージどおりに投げられ、また副次的に親指の抜けが早くなりました。
しかしその投げ方で間違っていたのは、自己流でやっていたことで、親指のぬけがよくなることで、中指に負担をかけるようになり、痛めかかった。
そのころより、土山、二見の二箇所で、ワンポイントレッスンに参加を始め、自分の悪い箇所の修正を図りました。
レッスンにより、投げ方が大幅に修正され、斜行は禁止まっすぐ歩く、パワーはあり、スピードも十分にあるので、コントロール重視でプッシュアウェイの時大きく腕を出さずブレを減らす。
サムホールのゆとりが大きいので、背側にスポンジテープで調整しリリースのタイミングを一定にする。
というようなこと教えていただき、結果投げ方は一番最初の投げ方に戻りました。
  


Posted by ともち at 23:38Comments(0)日記・雑記

2009年04月06日

ごめんなさい続きです

今思えば、初めはアーバンで投げていたため、プロチャレ等でニッケで投げ始めたときあまりに曲がらないことに驚き、曲がるボールを探し、投げ方を変えようとしたり無理やり曲げようとしてより曲がらなくなるようになってました。
また悪いことに、前にも書きましたが半月に一回程度しか投げなくなっていたことにより、すべてが悪くなっていました。
その当時の投げ方は、今でもみなに言われますが力で腕を振って投げる力任せの投げ方でした。
そして、西村プロのアドバイスでセルを買うとき16ポンドに変え、500番で曇らせ、とうとう12月にKBCへ投げに行ってどん底まで落ちました。
これが、1度目の経験です。
救ってくれたのは女神ならぬ彼女です。
初めて会った時、100行ったことが無いけど100いくかな、と聞かれ一緒に投げてみて、きれいにまっすぐ素直に投げるのを見てこのままで、150までいけるよ。と話し、その時ひとつアドバイスしてその日2回100を超えました。
ものすごく熱心で僕とは違い頭もよく、よく考えて投げるため、めきめきと伸び、ご飯をねたに、アベが110を超えないと、とか120をとか、お互いガターをしたらとか、いう風に投げていました。
2,3ヶ月すると、アベも150ぐらいになり時々170がちらほら出だし、そうなるとこちらも危なくなり始めます。
なにせ、1月頃は、120底底まで落ち込んでいた身ですので。
とりあえず、オーバーターンはその1月に友人よりジャイロンをもらい矯正したためなくなりましたが、曲がらないのを補うため斜行して投げていました。
もちろん力で投げ、親指は握りこんでました。
それでもアベは上向いてき、170前後まで戻ってきました。
200も出だすようになり、投げに行ったらどこででも一回は200を出すことが彼女からノルマとされ、ほぼどうにか守れ9月にはプロチャレで1度優勝できました。(アベは201とハンデが38)
また続く。m(_ _)m  


Posted by ともち at 00:15Comments(0)日記・雑記